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プロフィールprofile


代表 古田 仁 FURUTA HITOSHI



札幌市出身。
92年〜94年10月迄 丸井今井陸上部在籍。
93年5000m,10000m日本選手権出場(5000m12位)
94年東日本実業団選手権10000m7位
94年3月にハーフマラソン1時間03分29秒(当時の北海道記録)
94年7月ゴールドコーストハーフマラソン東日本実業団代表
94年11月に実業団チーム三英社に移籍。
95年5月東日本選手権5000m6位
96年3月びわ湖毎日マラソンで2時間18分11秒をマーク。
2000年に三英社を退社後「千歳リハビリ学院」に入学。ブランクを経て「理学療法士」として再出発。

ベストタイム
1500m 3分52秒 91年 全日本インカレ
5000m 14分12秒 96年 東日本実業団選手権
10000m 29分28秒 94年 東日本実業団選手権
10マイル 48分17秒 94年 唐津10マイルロードレース※現北海道記録
ハーフマラソン 1時間03分29秒 94年 全日本実業団ハーフマラソン※現札幌記録
30km 1時間35分43秒 95年 熊日30kロード※現札幌記録
マラソン 2時間18分11秒 96年 びわ湖毎日マラソン

現在 
札幌静修高校女子駅伝部 トレーナー
全国都道府県女子駅伝 トレーナー
北海道陸上競技協会 医事委員

好きなもの じゃがいも 安室奈美恵

コーチ 野崎 忠義 NOZAKI TADAYOSHI


東海第四高校から陸上部を始め、入部3ヶ月で国体全道予選少年B 5000mで6位入賞。(秋に1回目の疲労骨折)
高校2年5000mで全道2位。(秋に2回目の疲労骨折で大手術)
高校3年、国体全道予選1500mで2位入賞 
東海大学に進学。 100人もいる長距離で最初は1番遅いグループEチームからスタート、3年のときA、Bチームに昇進し、箱根5区の試走もしたが、またまた疲労骨折(T_T) 
本人談~練習好きだったが疲労骨折8回(笑)高校の佐々木コーチにはガラスのエースと言われ陸上競技から去って行きました(^_^;)
生涯成績100m11秒3(非公式)400m51秒(非公式) 1500m3分55秒、5000m14分36秒、10000m30分16秒、ハーフは古田さんより3分位遅いかな(非公式ですが)フルは2時間24分台だったような?

現在は、現役時代の悔しさを子供にぶつけ、いや期待してTONDEN.RCにて次なるスター発掘に尽力する。

現在、疲労骨折北海道記録保持者(8回くらい)※非公式

アドバイザー 阿部 雅司 ABE MASASHI


北海道留萌郡小平町出身。
中学校からノルディック複合競技を始め、東海大四高校に進学後に東京美装興業(株)に就職する。
3度のオリンピックに出場(88年カルガリー、92年アルベールビル、94年リレハメル)という素晴らしい実績を持ち、
中でも1994年のリレハメル大会ではノルディック複合団体金メダルを獲得!!世界にその名を轟かせた。
1995年、札幌でのワールドカップで現役を引退。現在は全日本のコーチとして海外を転戦している。
現役引退後2001年からマラソンを始め、2004年には2時間43分台をマーク。
またサロマ湖100Kマラソンには毎年挑戦しており2007年には7時間52分57秒でゴールし一般の部5位に入賞した。
今後もノルディック複合競技の全日本コーチをしながらマラソンを続けている。

現在は、獲得した金メダルを一人でも多くの人に見てもらえるよう、どこにでも金メダルを持って出かけ、気軽に貸し出して記念写真に応じている。その為、せっかくの金メダルも黒メダルになりつつある。しかし、本人はいたって気にしていない

助っ人コーチ 太田 尚子 OTA NAOKO

太田 尚子 OTA NAOKO

苫小牧市出身。
高校時代は卓球で全国高校総体団体ベスト8、沖縄海邦国体北海道代表。
洞爺湖マラソンは2001年から8年連続優勝。(コースベストは08年の2時間49分49秒)
08年札幌マラソンは2度目の総合優勝。
さらに08年6月、サロマ湖100Kマラソンに挑戦し7時間59分14秒で当時の北海道新記録を樹立した。
自己ベストは、2008年3月の名古屋国際女子マラソン2時間48分52秒(総合34位)
09年6月IAU100Kマラソンワールドカップの日本代表に選ばれ、女子団体戦銅メダルを獲得した。

北海道の市民ランナーの間では「女王」と呼ばれ、親しまれ、尊敬されているが、それ以上に、その愛嬌あるキャラクターゆえに、周りからからかわれたり、いじられる事の方が多い(笑)


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